ドンドンさんの季節
2017年1月16日
日本の伝統行事は奥が深い。
半纏(法被)、浴衣、手拭、鯉口シャツ、股引などの祭衣装、和服のオーダーメイド、
伝統芸能の衣装オリジナル製作、修理を通じ、日本の祭りを支える染物屋でありたい…
京屋染物店の蜂谷悠介です。
この寒さ厳しい冬になると「ドンドンさん」が店先にやってきます。
遠くから近づいて来る太鼓の「ドンドン」という音を聞くと「あっ!ドンドンさんが来た!」と言って、家族全員が小銭を握りしめて足早に店先へ。店の戸を開けるとそこにお坊さんが立っていて、お経を唱えているのです。そのお坊さんの首から下がっている前掛けの様な袋に小銭を入れて合掌します。
私が子供の頃から変わらぬ光景です。
托鉢に来られるお坊さんのことを我が家では「ドンドンさん」と呼んでいます。
夜になると太鼓を「ドンドン」と鳴らしながらお坊さんが店の門口まで来て、お経を唱え「家内安全」「商売繁盛」「子供達の健やかな成長」などを願って頂けるのです。
誰かの為に善い行いをすることが実は自分の為になる?
お坊さんにお布施し(お坊さんの首から下がっている前掛けの様な袋にお金を入れて)、お経が終わったら「ありがとうございました」と頭を下げるという行為を子供の頃から当たり前の光景として生きてきましたが、友人から見ると珍しい光景のようで、「ドンドンさんって何?」「なんでお坊さんが物乞いに来るの?」「お経の押し売り?」「なんで家族総出で嬉しそうに迎えるの?」などなど質問攻めにあいました。
誰かに質問されて初めて、「なんでだろう?」と考えたり、調べたりする訳なのですが、托鉢はお布施(お金や食料)を出す私たちの修行のようです。
僧侶に施す(与える)ことで、私たちが功徳を積む為の修行なのだそうです。
托鉢は、米を一粒でも誰かに分け与えるという善い行いをすることで、人を支え、人に支えられるという人間の精神の営み全体を感じることの出来る修行ではないかと勝手に想像してしまいました。
子供の頃から行っていた行為が、実は修行だったということを知り驚くと同時に、托鉢の際の心持ちが間違いなく変わりそうです。
施し、施されるという関係でもなく、人を支え、人に支えられていることを極自然のことと感じ、皆それぞれに特技や個性を誰かの為に活かす。
そのためには、まず自分の弱みや不足を認め、他者へ敬意を払う。
肩肘張らずに人の輪を自然と大切にできそうな心持ち。
なんだか心がぽかぽかしてきますね。
よーし、明日からは子供達に自分のお小遣いからお布施してもらおう♪