【京屋のあゆみ file06】震災と地域の祭り
2019年10月23日
平成31年1月をもって、創業100年を迎えた京屋染物店。
初代の京都修行から始まり、皆様との出会いまでの100年の道のりをご紹介します。
4代目の蜂谷悠介が就任した翌年の2011年、
大きな揺れがまちを襲いました。
東日本大震災でした。
工場は被災し、屋根はズレ、雨漏りするほどで済みましたが
浅草の三社大祭の中止を皮切りに全国の祭りが次々と中止となり、
染屋の仕事は全くなくなってしまいました。
2週間を超える停電の後、
ライフラインが復旧し、久々のテレビに映ったのは
沿岸にある隣町が悲惨な状況に陥っている映像でした。
知り合いが物資を仕切りに運んでいる姿を見て、
「自分も命があるだけで良かったんだ」と思い
何かできることをしようとボランティア活動に励んだ。
しかし、仕事が全くない状況でこの先どうすればいいのか。
先が見えない不安と倒産も覚悟しなければならない状況。
染屋の存在意義と価値を疑うようになっていました。
そんな最中、たまたまお会いした陸前高田の祭り団体の方とこんな話がありました。
その方は、高台にある神社の前に寝泊まりをしていました。
公民館や学校のような避難所ではない、不便な場所でなぜ寝泊まりをしているのかと聞くと、「私はこの高台に訪れる人を勇気付けたいから、この場所にいる。もし、訪れた人が一人でここを訪れたなら、この高台から見る景色に絶望しか抱かないだろう。でも、私がその人と一緒にこの景色を見たなら、声をかけることができる。一緒にまた立ち上がろうと。それができるのがこの場所なんだ。」
その方と、祭りの話にもなりました。
「こういう状況ではあるが、もう一度祭りをやりたい。祭りには力がある。一年に一回のその祭りに、遠く離れたところに暮らす人は集まり、老人は昔話に花を咲かせ、子供は早くあの衣装を着て大人の仲間入りをしたいと思い、若者はまちづくりの話をした。あの祭りを行うことが、もう一度まちに力を取り戻すきっかけになる。」
その話を聞いたあと
一般のボランティアではなく
染屋として何かこの震災に対してできることがないかと思い、
被災した半纏や祭りの衣装を直す活動を始めました。
そうして暫く活動を続けると
全国から沢山の支援いただき、少しづづ活動の輪が広がっていきました。
その中で、立ち上がっていく被災地の祭り団体の方を見るととても勇気付けられました。
「その時初めて、自分たちの染めの仕事が人の力になれていると思った。」
と当時のことを4代目は振り返ります。
自分たちもその方々に勇気付けられたこと。
助けているつもりだったが、助けられていた。
うちら染物屋は幸せだ。
思い出に寄り添うことができる。
誰かのアルバムをめくると、
その写真には自分たちが作った衣装を着た人たちが嬉しそうに写っている。
自分たちの染物はそこに残っている。
そうして、祭りを支えている。
日本の祭りを支えることが
京屋染物店の仕事です。
【京屋のあゆみ file07】へ続く…