家族のためのエプロンを
2018年3月2日
京屋染物店にパパ料理研究家の「滝村雅晴」さんがいらっしゃいました!
日本で初めてパパ料理研究家という仕事を始めた滝村さん。パパ料理に込める思いが詰まったエプロンをオーダーメイドで製作したいということで、東京から一関までお越し頂きました。
パパ料理とは
パパ料理研究家の滝村さん。今でこそ、料理研究家を名乗っているものの、15年前までは家の料理はほとんどやったことがなく、残業・休日出勤当たり前の仕事人間だったそうです。
そんな滝村さんも娘が生まれたことことをきっかけに転機が訪れます。ある時、部下に勧められた料理本を購入し、初めて家族に料理を作りました。初めて作ったその料理がなぜか美味しい・・・!
レシピ通り作った料理は、初めてでもこんなに美味しく作れるのか!と滝村さんに衝撃が走ったそうです。それからというもの、料理にハマり、手の込んだ料理を数々作っていました。
しかし、家族のためと思って料理は作るも、作りたい料理を作りっぱなしで洗いものもしない料理は、男の料理で趣味の料理でした。料理を始めて2年ほど経ったある日、ついに妻や娘たちに愛想を尽かされます。
家族に愛想を尽かされたことで初めて、滝村さんは「私の料理は自分のために作っていた。家族がお腹を空かせた時に作ってあげるような、誰かのための料理ではなかった。」と気づいたそうです。
それからは家族がお腹を空かせた時に、あるものでサッと作る料理に変わっていきました。
それ以来約12年もの間、滝村さんは家族のために作るお父さんの料理を「パパ料理」と名付けて、パパ料理を作り続けています。
日本のお父さんに誰かのための料理をするきっかけを作りたいという思いから、パパ料理研究家として独立起業し、全国各地で料理教室を行い、沢山のメディアにも出演しています。
家族そろってご飯を食べる時間
パパ料理を広めるために、「1人の100歩より、みんなの100歩にしたい」ということから、日本パパ料理協会を立ち上げるなど、精力的に活動を続ける滝村さん。その滝村さんの底力には、娘さんの支えがありました。
2011年に滝村さんの長女のゆりかさんは難病にかかってしまいました。
大切な我が子が声を失い、感覚も徐々に失っていく中で、滝村さんは料理の力で治せないかと思い、必死に食べ物の栄養とその効果について勉強し、試行錯誤を続けました。
しかし、ついには味覚も失い料理を食べさせることもできなくなり、2012年の1月12日にゆりかさんは天国にいってしまいました。
家族そろってご飯を食べていた時間
それがどれだけかけがえのないものだったか
滝村さんは気づいたそうです。
以来、滝村さんは、家族そろってご飯を食べる時間の大切さに気づいてほしいという思いで、パパ料理の活動を続けています。
家族のためのエプロンを
滝村さんがパパ料理をする際に必ず着用するエプロンがあります。
長女のゆりかさんが、入院中のベッドで数千枚描いていた絵の1つが印されているエプロンです。
「家族そろってご飯を食べる時間の大切さ」を伝えたい。
その思いで独立起業時に作ったオリジナルエプロン。
沢山のお父さんに使ってもらいたいということから、滝村さんはそのエプロンの販売も行なっています。
一関の子育て中の父親たちで結成された、「絵本ライブ」など行う団体「On sundays(オンサンデーズ)」もそのエプロンを着用しています。
その一関でのご縁もあり、今回、滝村さんが京屋染物店で「新しいエプロン」を作りたいと弊社にお越し頂き、その思いを伝えて頂きました。
京屋染物店は単なるモノづくりではない、お客様の思いに応える商品を作りたい。
滝村さんの「思い」を受け、京屋染物店の新たなモノ作りが始まります。
必ず良いエプロン作ります!